第3回キッチン展
2005年春、元請が架空発注という嫌がらせを受けたあおりで多量の椅子、テーブルを納品先もないままに製作してしてしまいました。元請が支払能力がなかったため大量の在庫を抱えてしまい途方にくれました。
千葉の設計士さんから声がかかり設計さんの実家のリフォームの際、キッチン、カウンター、テーブル、椅子とまとめて製作させていただきました。宿泊を伴う県外の設置は初めてで2トンのアルミバンをレンタカーで借りて設置工事に向かいました。2004年の秋のことです。
工場を引越した際広くなったこともあり、フォークリフトを導入しました。今までトラックで運ばれてきた板材を一枚一枚手でおろしていたのに比べてはるかに材料を簡単に扱えるようになりました。この頃の工場は縦横無尽に動けるスペースがあったのですが。2004年夏のころの話です。
工場を移転するにあたり規模もそれなりに大きくなってきたこともあり、今まで個人事業として行ってきた家具作りを法人化することにしました。現在では会社法の改正で新たには設立ができない有限会社という形にしました。2004年の5月のことです。
2004年の春に早くも手狭になった工場に見切りをつけようと近所を探したところ、倒産した工務店の倉庫が空いているらしいということが分かりました。銀行の不良債権になっているようで希望するなら競売にかけるということになりました。人生最大(多分)のオークションでしたが、なんとか落札することができました。
倉庫を建ててこれで広くなったというのも束の間の話で、国産材で作ろうとしますと材料が流通していないので自前で在庫をせざるを得ず、すぐに倉庫がいっぱいになってしまいました。友人の設備屋さんの倉庫も借りたのですが、そちらも手狭に感じてしまいました。2004年の頃の話です。
納品して1年ほどたったログハウスのキッチンをお借りして2回目のオーダーキッチン展を開きました。2003年の秋のころの話です。たまたま立ち寄った方が大変興味を持っていただき、ご自身の自宅を新築する際にキッチン等を製作させていただくことになっていきました。結構多くの方が見学に来てくれました。
2003年の6月にパネルソーという機械を導入しました。家具の部材を寸法に切るのに便利だと思って入れたのですが、製材されただけでまだ皮の部分がついた木を切り出すのに大変有効で、地域材、国産材などの皮のついた材の扱いのが多い木のすずでは作業効率が格段に上がりました。
2003年の春に今まで続けてくれたアルバイトの人が辞めることになったことと、仕事量の増えてきていたこともあってベテランの職人さんに毎日来てもらって製作する体制をとりました。この職人さんはいつもキャンバス地の道具袋にのこぎり、かんな、のみ、金づちなどの手工具一式を入れて通ってきてくれました。
キッチンも製作してすぐに納品できることばかりではないので、広くなったと思った工場もあっという間に狭く感じるようになり、2002年の5月に工場のすぐ横に20坪足らずの倉庫を新設しました。ここに乾燥させた材料、完成した家具を収納することにしました。今度こそ広くなったと思ったのですが...。
キッチンも製作してすぐに納品できることばかりではないので、広くなったと思った工場もあっという間に狭く感じるようになり、2002年の5月に工場のすぐ横に20坪足らずの倉庫を新設しました。ここに乾燥させた材料、完成した家具を収納することにしました。今度こそ広くなったと思ったのですが...。
2002年の2月に現在よりもかなりシンプルな形でのホームページを開設しました。ホームページを作ってもなかなか受注には結びつかないと聞いていたので、この後オーダーキッチンの県外からの問い合わせ、製作依頼が舞い込んでくるようになるとはこの時点ではほとんど思っていませんでした。
納品まですこし時間があったことと、天板を天然の大理石で製作したこともあり、、皆さんにも見ていただきたかったので、お客さんの了承を得て木のすず(喫茶店)にて第1回のキッチン展を開催しました。こうしたキッチン展が珍しいこともあり、結構盛況でした。2001年の11月のことです。この晩しし座流星群の流星雨が降ったことを覚えています。
2001年の夏ころ、通算で10台目のキッチンを製作させていただきました。このころになりますとワークトップもステンレスあり、人工大理石あり、タイルありといろいろなバリエーションが出てきました。しかしまだキッチンに関しては年平均2台くらいしか製作していなかったので、そうはいっても落ち着いて製作していたころです。
近隣に土地を借りて、そして銀行にお金を借りて2001年の1月念願の工場を新設しました。内部外部全面杉板張りの一見山小屋風の工場です。軒下に材料置き場を設けたことや、今まで借りていた工場の倍の広さになったことで今までとはスペース的にはゆとりができたと思ったのですが・・・。
キッチンとか食器戸棚とか作るものが大きくなり、かつまた量も増えてきたので、借りていた倉庫の一角では作ったものを置いておくスペースにも困るようになり、自分の工場をほしくなってきました。売り上げも年々増えていたので、銀行のほうもなんとかお金を貸してくれそうな気配がでてきたのもこのころです。
2000年ごろより近くの材木市場にて地域の材木を入札にて買い付けることを始めました。家具として使用できる広葉樹の地域材、国産材は乾燥して板になった状態で流通していないので、事前に仕入れ、製材、乾燥させて一定量在庫しておかないといけないので、なかなか簡単ではありません。外材で作るとこのへんは楽なのですが。